日野菜とは

最新更新日:2006年9月11日

日野菜はかぶらの仲間

 かぶは日本全国各地に、約80もの品種があり、原産地は世界遺産バーミヤン渓谷のあるアフガニスタンあたり。
 日野菜の祖先もシルクロードを渡り、中国、朝鮮半島を経て、はるばる日本に伝わって来たのかもしれません。 長い歴史を思いながら日野菜を食するとき、その味の広がりに悠久のロマンを感じます。

 現在の日野町産出の日野菜。
 明治から大正にかけて、日野町在住の種苗業者の方が何代にもわたり、苦労され品種改良されたのが現在の日野菜です。
 以来地元の篤農家や地域、種苗組合、JA、関係当局が一体となって、伝統野菜「日野菜」を伝承しております。

『日野町志』より引用

『日野町志』によれば『日野菜は原と蒲生家の居城音羽城の附近、爺父渓(やぶそ)(藪岨)と称する地点(現今日野町、鎌掛組合山林中)の野生種にして葉及び根は紫紅色を帯べる蕪菁の一種なり  蒲生貞秀入道智閑、曽て爺父渓に在る観音堂に参詣せし時、見馴れぬ菜のあるを見て之を採り来り、試みに漬物となさしめしにその色澤桜花の如く艶美にて風味亦佳良なりしかば、 野生しある地点を開墾し観音堂の僧に命じて栽培せしめたる菜を以て漬物とし之に一首の歌を添えて飛鳥井大納言雅親卿に贈れり。 “ちぎりおきてけふはうれしく出づる「日野菜」と「あかつき」を恨みわびけん”と雅親卿 更に之を後柏原天皇(104代、皇紀2161-2186年、西暦1501~1526年)に献じ奉りしに天皇喜ばせ給ひ、 其の桜花に似たりとして桜漬と題して詠歌仕れと仰せられたれば雅親卿かしこみて“近江なる檜物の里の桜漬けこれや小春のしるしなるらん”と奉じたれば天皇叡感斜ならす。 此の由飛鳥井家より智閑へ沙汰ありてより、遂に桜漬けの名あり是より智閑上洛の度毎に此の菜を献上することとなれりと伝う。 また命を受けて栽培せしところを菜畑という。また命を受けて栽培せし観音堂の僧の功を賞し、蒲生家より菜畑という姓を与えり。(菜畑慧徳氏はその後裔(血筋)なり。 天正年間、蒲生氏郷勢州移封の時此の菜種と土とを彼の地に持ち生きて彼の地に栽培し、後会津にも播種せしという。云々』とある。

『本草綱目啓蒙』(1802年)に「一種のあかかぶ一名あかな一名むらさきな一名日野菜一名近江なり その葉油菜に似て紫色根長さ五六寸にして圓ならず色紫赤用てくきづちとなす江州日野の名産なり  他に移し栽ればその色変すとありその後『證類本草引日華本草』『続江戸砂子』にも出てくる。  本種は他県には分布せず滋賀県のみに現存している。
 カブには珍しい長根で、径約3cmで長さ20~30cmになる。抽根部があざやかな紫紅色、 下部が白色で、その色の対比が非常に美しい。もっぱら漬物に加工され、独特の香りがあり、賞味されている。  葉は立性でわずかに欠刻があり、紫紅色をおびている。保水力のある排水のよい土層の深いところが適している。


絵は、日野町志に掲載されている日野菜の原型とされている絵であり、根の部分も赤と白に見事に描かれている。

*月岡雪鼎 (つきおかせってい) 1710~1786 大坂
 近江国日野大谷に生まれ、同郷の狩野派の絵師高田敬輔に学んで絵画の基礎を積み、中年以降は大坂心斎橋筋に住み、絵本に才能を発揮して人気絵師となった。 のち肉筆の美人画に独自の スタイルを確立して大坂画壇に重きをなし、数多くの作品と優れた弟子達を世に送り出した。 77歳で没。法橋、法眼に叙任された。

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