「日野町志」に見る日野菜の原型

最新更新日:2021年7月3日

月岡雪鼎(つきおかせってい)が描いた日野菜の原型

月岡雪鼎は日野町大谷が出生地 江戸時代中期から後期にかけて活躍した浮世絵師。 月岡雪鼎⇒詳しくはこちら 月岡雪鼎師匠高田啓輔は日野町杉野神出身 京狩野派の絵師・高田敬輔⇒詳しくはこちら
 発見当時の日野菜の形は、此の「近江日野町史」に描かれた絵から推測されている。ずんぐりむっくり牛の角を逆さにしたような形であったらしい。江戸時代参勤交代で島根県津田地域の殿様が日野菜の種を持ち帰り栽培した物が現在も伝統野菜として健在な「津田蕪」であり、勾玉の形といわれる津田蕪からして日野菜の原型として納得できる。この絵の右側に文書がある。これは月岡雪鼎が生まれ故郷の近江の国大谷村(現日野町大谷)から日野菜が送られてきた、その礼状として描かれたもので、礼状の文面(写真右の部分)には
ちかつ海より難波江の流れのすゑまで
故郷の産物を贈り給わり候
乗化主人へ小枝をもてすくひるる
伝いぬ往昔蒲生氏郷郷江州日野の城より
奥の会津に移り其の後伊予の松山にうつる
此の三所に蕪菘を生して蒲生蕪
またひの蕪と呼びて名産とす
種を取り他境に植えるといえども
変して尋常の蕪となると
引も矢にゆかりの水や日野蕪

と俳句も添えている。
この俳句、前文からして日野菜はふるさと日野以外の地では普通の蕪となってしまう。貴重な
ふるさと日野からの日野菜はありがたいとの意味が込められている礼状のようです。
 

日野町志が伝える日野菜の記述月岡雪鼎(つきおかせってい)が描いた日野菜の原型






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