ローマ時代の秘密兵器「シャクナゲの毒」

最新更新日:2006年9月11日

天然記念物の「鎌掛谷ホンシャクナゲ群落」

『日野菜は原と蒲生家の居城音羽城の附近、爺父渓(やぶそ)(藪岨)と称する地点(現今日野町、鎌掛組合山林中)の野生種にして 葉及び根は紫紅色を帯べる蕪菁の一種なり
 蒲生貞秀入道智閑、曽て爺父渓に在る観音堂に参詣せし時、見馴れぬ菜のあるを見て之を採り来り、 試みに漬物となさしめしにその色澤桜花の如く艶美にて風味亦佳良なりしかば、 野生しある地点を開墾し観音堂の僧に命じて栽培せしめたる菜を以て漬物とし・・・・・・・とある「日野町志」

爺父渓(やぶそ)(藪岨)と称する地点(現今日野町、鎌掛組合山林中)の奥に現在の石楠花渓があり、 この地には天然記念物の「鎌掛谷ホンシャクナゲ群落」がある。
 『天然記念物の「鎌掛谷ホンシャクナゲ群落」は、日野町鎌掛の集落から東約2キロメートルに位置する石楠花渓にあり、 ホンシャクナゲが標高300から400メートルの約2ヘクタールの斜面一帯に群生している。
斜面は北向きの急斜面で、5月になると約2万株ともいわれる花が咲き乱れる様は一大花園を思わせる。
ホンシャクナゲは、中間温帯から令温帯にかけてのやせ尾根に生育する日本固有のツツジ科の常緑低木で、 新潟県西部以西の本州と四国北中部に分布する。
鈴鹿山脈でも雨乞い岳や綿向山などのやせ尾根でホンシャクナゲの群生地が見られるが、 これらは何れも標高1,000メートル前後の高海抜地である。
従って、シャクナゲ渓のような低海抜地にホンシャクナゲが広い面積にわたって群落を形成しているのは珍しいことである。』(近江日野の歴史より)

この「シャクナゲ渓の謎」についての仮説をお楽しみください

 

日野菜が爺父渓(やぶそ)(藪岨)と称する地点で発見(西暦1500年頃)されるより、さらに時代をさかのぼる。
 瀬川欣一著「ふるさと鎌掛の歴史」には地名を耶斧岨(やぶそ)と書かれてあり、耶斧岨の地名のことが書かれてあります。
 『この珍しい地名である「やぶそ」の地名の、その意味を探ってみることにしましょう。 実は、全国的に散在する「やぶ」という地名の場所は、古代の人々が死骸を葬った場だといわれております。
俗に言う墓地なのですが、その墓地は埋葬の場でも火葬の場でもなく、風葬とか曝葬とか鳥葬とも言って、亡くなった人の遺骸をそのまま地上に置いて、 風雨にさらしたまま白骨化を待つという、そんな葬法の場所が「やぶ」と呼ばれた場所だったといわれます。
 どうやら鎌掛の耶斧岨谷も、そうした風葬の場所だったらしく思われます。
岨とは谷のことですので人々の遺骸を葬った谷、となりましょう。
・・・・・・中略・・・・・・
その耶斧岨谷の更に奥には「地獄谷」があります。
地獄谷とは石楠花谷のことであって、石楠花の群落が観光的に世に知られてから石楠花谷となりますが、それ以前は地獄谷という谷だったのです。
更にもうひとつは、この耶斧岨谷全体が、古代から神の山と崇められていた「宝殿が岳」の直下の谷となっております。
・・・・・・中略・・・・・・
その風葬はいつまで続きましたのでしょうか。

六つ瀬川という谷川の呼び名から考えて、仏教のうちの浄土経と言われる宗派の考え方が、庶民の間へ広められていった鎌倉時代の頃まで、 この風習が続いていたならこそ、六つ瀬川の名称が生まれたのだと思われますので、たぶん13世紀である約700年前の鎌倉時代までは、 鎌掛谷の祖先たちは、死骸は耶斧岨谷の山奥で棲むことになっていたのでしょう。』

 現在の石楠花谷はその昔は「地獄谷」と呼んでいた。
昔から石楠花と馬酔木(あせび)には毒があると聞かされてきました。事実石楠花の根や馬酔木の葉っぱには毒がある。石楠花谷が地獄谷といわれていた時代。 人があまり近かずかない谷ので毒薬の製造のために、鈴鹿山脈、雨乞い岳や綿向山などからホンシャクナゲや馬酔木を人為的に植えたのではないでしょうか・・・・・

誰が・・・・・・何のために・・・・・・
想像すればするほど、とっぴな話になりますが 私このH・Pの屋主といたしましては約500年前発見されたとされる日野菜のルーツを探りたく仮説の想像を楽しんでおります。 渡来人が日野菜の元となるカブラを大陸から日本に持ち込みカブラが交雑を繰り返しながら発見された日野菜の元祖となった。

 日野牧の時代?荘園が多くあった時代、渡来植物が盛んに栽培されてきたが、そのような中、 鎌掛谷にも荘園主が毒薬作りの秘密基地として毒薬になる草木(石楠花、馬酔木、カワチブシ=とりかぶと等)を多く植えたのではないでしょうか?

2006年4月19日 はちみつ シャクナゲの毒利用 (日本農業新聞の記事より掲載)

 

 はちみつが戦争兵器に使われたことがある。英国の出版社・ダックワースの『蜂蜜とハニーハンテングの世界史』によると、 第3次ミドリタテス戦争(紀元前74年)当時の地理学者・ストラボンが記録を残している。
黒海南岸を支配した王国ポントゥスとローマとの間に起きたこの戦争でローマの指揮者・ポンペイウスが兵を引き連れポントゥスに攻め入ろうとした。 それを知ったポントゥスの兵士はシャクナゲから採った蜂蜜を集めてつぼに入れ、敵兵の通り道の木にぶら下げておいた。 やがて通りかかったローマの兵士蜜をなめなめ、次々に意識不明に陥った。 それを確かめたポントゥスの兵士がどっと攻め込み、1,200名を倒したという。シャクナゲのみつには毒があったのだ。

 この記事を読み、シャクナゲのみつにも毒があるんだー、と思いつつイタリヤの蜂蜜屋さんを調べると「シヤクナゲの蜂蜜250g 1,732円とあり、 ほのかに酸味を感じさせます。 花の匂いを思わせる、さわやかなさっぱりとした甘さ。」とあった。
シャクナゲのみつそのものには毒がないに違いない。

この戦争に使われたはちみつは有毒な物質を混入されていたのだろうか・・・・・・?
鎌掛にあるホンシャクナゲは日本固有のツツジ科の常緑樹とあるし・・・・・・
ポントゥスにあったシャクナゲの種類には毒のある種類があるのだろうか・・・・・・

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